【真作】江戸前期 狩野探幽 ★狩野梅笑 極★【孝子楊香】★共箱付 古画 水墨山水図 工場 京都 捲り / 徳川幕府御用絵師 / 裏打済 (22H06014)

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狩野探幽【かのうたんゆう】

江戸初期の狩野派の画家。名は守信。狩野孝信の長男で,狩野永徳の孫。1612年江戸に下る途中,駿府で徳川家康に謁し,1617年,16歳の若さで幕府の御用絵師となる。以後,幕府の用命を受け,日光,芝,上野の徳川家霊廟の装飾や,江戸城の障壁画制作に従事,また大坂城,二条城,名古屋城,京都御所,寺院などの障壁画制作にも活躍した。1635年,出家して探幽斎と称し,法眼に叙せられ,1662年には宮内卿法印となり,狩野派の権威を不動のものとした。初期の二条城二の丸殿舎大広間の襖絵(ふすまえ)《松に鷹図》では永徳の豪壮な作風の復活を志したが,以後,桃山様式への追従をやめ,淡泊,瀟洒(しょうしゃ)な味わいをもつ江戸狩野様式をつくり出した。代表作名古屋城上洛殿襖絵,大徳寺本坊襖絵など。ほかに写生図や古画の縮図も数多く作った。
【狩野梅笑】1729-1808
狩野派の画家。初め興信、栄信・梅笑・瑞龍斎と号する。梅春旭信の子。徳川幕府の表絵師山下狩野家の分家、深川水場狩野家の絵師。父、梅春旭信と同様、幕府の御用を勤めたが、宝暦13年(1763)頃から約30年間他狩野家から何らかの理由で義絶されており、名も藤原・東玉元と改め奥州や中越地方を遊歴し制作を行う。奥州滞在中には若き東東洋に絵を教え、自分の姓・東を与えている。越後での滞在中、良寛と交流し有願や鈴木牧之、橘崑崙、五十嵐華亭らに絵を教えた。寛政5年(1793)に一族との和解が成立し、翌年は公儀の御用を勤めている。名は師信とされる説や和解後は狩野一信と名乗った説もある。
サイズ本紙 横 61cm x 縦 40cm全紙 横 79cm x 縦 118cm
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